二元論とは対照的に,一元論は、唯一の基礎的実体だけが存在すると主張する。今日、西洋哲学において最も広く受け入れられている一元論は物理主義(Physicalism)である。[9] 物理主義的な一元論は、物理的な実体だけが唯一存在していており、我々の科学が最もよくその性質を明らかにする,と主張する。[31] しかし、物理主義といえども、その定式化は多様なものであり得る(下記を参照)。
一元論のもうひとつの形態は観念論(唯心論)である。これは存在する唯一の実体は精神的なものであると主張する。これは現在の西洋哲学においては一般的ではない立場である。
現象主義は、外的対象の表象(あるいはセンス・データ)が存在するもののすべてである、とする理論である。この考え方は、20世紀初頭、バートランド・ラッセルや多くの論理実証主義者が一時的に採用したものである。[32]
第三の可能性は、存在するのは物質的でも精神的でもない何かである、という考えである。精神的なものも、物質的なものも、両方ともこの中立的な実体のもつ性質であるということになる。この立場は、スピノザが採用し、[8] 19世紀になってエルンスト・マッハによって広まったものである。[33] こうした中立的一元論は、いわゆる性質二元論(Property dualism)に似ている。
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行動主義は、20世紀の大半、特にその前半において、隆盛を極めた心の哲学である。[9] 心理学において、行動主義は内観主義の欠点に対する反動として発達した。[31]
自分自身の内的な心的生活についての内観的報告は正確になるように丁寧に吟味されているわけではなく、予測的一般化を形成する上では利用できない。一般化や三人称的吟味の可能性なしには心理学は科学になりえない、と行動主義者は言う。[31]したがって、そこから抜け出すには、内的な心的生活という考え方(ということはつまり存在論的に独立なものとしての心)を消去して、そのかわりに観察可能な行動の記述に完全に集中することである。
心理学におけるこうした展開と並行的に、ある種の哲学的行動主義(「論理行動主義」と呼ばれることもある)も展開された。[31]この立場は強力な検証主義に特徴づけられているのだが、検証主義によれば内的な心的生活に関する検証不能な言明は無意味だと一般に考えられる。行動主義者にとっては心的状態は内観的報告ができるような内的状態ではない。心的状態とは行動ないしある仕方で行動する性向の記述にすぎず、他人の行動を説明したり予測したりするために第三者によってなされるものである。
哲学的行動主義は、ウィトゲンシュタインが支持していたことで知られるが、20世紀の後半以来、認知主義の興隆と同時に支持を失っていった。[17]認知主義は行動主義のいくつかの問題点を認識して行動主義を否定した。たとえば、行動主義は、ある人がひどい頭痛を経験しているという出来事について誰かが語るときに、その人の行動について話していることになる、という点で直観に反する主張をしていると言える。